財務省によると、お札の顔の人選ポイントにはいくつかの不文律があるそうです。
・写真が残っている
・政治家や軍人を避ける
・男女のバランスに配慮
・広く知られている
戦後の紙幣でも肖像画の聖徳太子が採用されたことがあり、また1962年から1984年の千円札肖像が伊藤博文だったのは例外と言えますが、実はこの時、渋沢栄一も有力な候補に挙がっていたにも関わらず「ひげがないので偽造がしやすい可能性がある」との理由で見送られたそうです。
紙幣の顔は偽造防止のためひげやしわが多い顔が良いとされ、女性は避けられてきたが近年の技術の発達と福沢諭吉もひげはないということから引き続き女性を採用することになりました。
ちなみにそれ以前も岩倉具視、二宮尊徳などひげのない肖像の紙幣は存在しますが、その代わりしわが多いので採用されたのでしょう。
「皇后や王妃の仕事は、美人であることと跡継ぎを生むこと」という身も蓋もない意見がありますが、それから派生すれば国の顔たる紙幣の肖像には美男美女をえらぶのが良いのではないかと……(左・陸奥宗光の妻亮子、右・土方歳三)
今回採用された人物の関係機関には、かなり以前より印刷局から肖像提供の打診があったそうです。
津田塾大には10年前に国立印刷局から「技術者の訓練用」として肖像写真提供の依頼がありました。
大学側は今回使用されることになった物も含め数点の写しを提供しました。
今月5日になってまた印刷局から連絡があり、8日に肖像使用の決定が伝えられたそうです。
港区の北里柴三郎記念館は3年前、同様に技術者の練習の名目で写真の提供を依頼されました。
その後写真の背広のバッジは何なのかなどの問い合わせがあり、公式発表の数日前に採用決定を伝えられました。
北区の渋沢史料館は十数年前から今回の写真を提供をしており、数日前に採用決定を伝えられたが公式発表まで絶対秘密と言われ、同館長は「家族にも言えず辛かった」と語っています。
また肖像画に続き裏面デザインも一新されます。
外国人に配慮しアラビア数字を大きくしたデザインになりますが、ATMでの使用に備えサイズは現行のままです。
3次元画像が角度を変えると回転して見える最新ホログラムなど偽造対策を強化しています。
現在の紙幣には。偽造防止のためにすかし等の他に隠し文字が入れられています。
たとえば千円札の裏面右上の桜3輪には非常に小さな文字で「ニ」「ホ」「ン」の文字が入っています。
お札はスキャンできないので(国によっては写真撮影も禁止の所があります)写真撮影してズームで確認するしかありませんが、うまく撮れませんでした。
ご興味のある方は、「紙幣 隠し文字」で検索してみて下さい。
何もここまで……と思ってしまうほどの超細密印刷で、各所に文字が入っていることが分かります。
福沢諭吉の紙幣肖像は1ミリの間に10本の線を引く超高細密のもので、押切勝造という原板作りの名人が最後の仕事として残した物だそうです。
またお札の偽造防止として有名なスカシは「黒すかし」といって、紙の厚さを線状に変えることで肖像を表現する物で、お札にしか使うことが許されない特殊技術です。
またカラーコピーすると色が変わって出力される仕掛が施してあり、紙は何百回折り曲げても破れない特殊なものなので簡単に偽造はできないようになっています。
裏面デザインは肖像画ともども法的な決まりはなく。日本の建築や風物から採用するということになっています。
現行1万円札の裏は鳳凰で、幸せを呼ぶ鳥です。
新デザイン1万円札裏の東京駅は、渋沢が建築発起人の一人だから。
5千円札の藤の花は日本古来の花で紫がお札の色合いに合うため。
千円札の北斎の絵は青がお札の色合いに合っており、またこの「神奈川沖浪裏」は外国人にも知名度が高く非常に人気があるから。
以上のような理由から選ばれたといいます。
また紙幣のデザインだけでなく、2021年上半期に500円硬貨の材質を変更することも発表がされました。
これまでのニッケル黄銅に銅と白銅を使用し、色は今の1色から2色に淵のギザギザ模様は一部に変化を付ける世界最新技術でより確実な偽造防止を目指します。
硬貨は図柄の入った方が表で数字の入った方が裏です。
5円玉だけはアラビア数字がないので、稲穂と「五円」のある方が表で「日本国」と発行年のある方が裏ということになっています。
硬貨の中で10円玉は平等院鳳凰堂がデザインされ、柱の一本一本まで描かれるなど非常に細かい細工が施してあります。
戦後10円は紙幣でしたが、低額で使用頻度が高くすぐに消耗してしまうので、硬貨に変更されることになりました(画像は戦後の混乱期に民間でデザインされ発行されたものですが、デザインが「米国」に見えるというので物議をかもし短期間で運用が停止されたいわくつきの紙幣です)
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当初の予定では穴あき・ニッケル材質で作成されるはずでしたが、その矢先の昭和25年に朝鮮戦争が勃発して兵器用のニッケルが不足し、銅で作成されることになりました。
しかし穴あき銅貨では当時既に出ていた5円硬貨(穴あき・黄銅)と紛らわしくなります。
そのため、。本来50円銀貨用であったデザインを流用し制作されることになりました。
銀は柔らかく細かい彫刻が可能なため、超細密なデザインが容易されていたのです(画像は幻の穴あき10円硬貨)。
初期発行の10円玉で、縁に刻み目がつけられている通称「ギザ十」という10円硬貨があることは有名ですが、じつはこれも上記の成立過程に関係しています。
当時は金貨や銀貨の一部を削り取る犯罪が横行していたため、それを防ぐ目的で円周上に刻み目が入れられました。
10円硬貨は50円「銀貨」のデザインを流用したものだったため、縁の刻み目もそのまま採用されたのです。
しかし銅貨は価値が低く削り取り防止の必要がない上に、その後刻み目入りの100円硬貨や50円硬貨が登場したために10円玉の刻み目は廃止されることになりました。